子供を持つときの不透明要因

子供が欲しいかの議論で、いつも立ち止まってしまうのが、「別に今でも十分幸せだ」ということだ。その幸せを壊してまでのリスクを負いたいのかという議論になってしまう。
これは、子供を持つと不幸せになるということではなく、子供を持った時と、持たなかったときで、どちらが幸せなのか議論である。

数値でいえば、100を超えれば幸せだと感じるとして、今が120であって、十分に幸せだったときに、その120の幸せを壊して、子供を作ることの怖さを感じてしまうということだ。子供によって、105、110の幸せしか得られなかったことを考えてしまう。いやむしろ、子供を持つ肉体的、精神的苦労を考えた場合、150くらい得られないと、リスクリターンが見合わないと思う。

子供を持つときの大変さ、金銭的な負担、キャリアの損失が明らかなリスクとして見える中で、リワードの視界はあまりにも不透明ではないだろうか。。