新聞の高すぎる編集能力

NewsPicksをみてて、すごく感じるのは、ネット記事の編集力の必要のなさ。
NewsPicksのインタビュー記事って、よくいうと、「そのまま」、悪くいうと編集をしてない。

一方、新聞って文字数の制限が激しいので、見事なまでにぴったり文章がまとめられていて、編集のレベルが高い。

新聞はもしかすると、取材も大変だけど、編集に凄まじい労力を払っているのだろうかと考えるざるを得ない。
ただ、一方で、そこまでの編集能力が果たして必要なのだろうか。

ネットだったら、10文字増えようがさほどどうでもいい。いや100文字くらいでも特に長いとは感じない。一方、新聞になると話は変わってくる。10文字どころか、1文字に格闘している編集者だって多いと思う、
そう考えていくと、新聞って想定よりもかなり厳しいよなって思い始めてきた。
こんなに編集能力が求められている仕事って新聞くらいじゃないのか
本はそんなに編集能力いらない、字数制限は、あるけどそこまで厳しくない。むしろ字数を稼ぐために、だらだら書かれている本もたくさんある。
誰かが正しい情報を取材する必要はあるので、取材する人はなくならないかもしれない、むしろ、いらなくなるのは編集能力かもしれない。

なぜ大企業は先が見えないのか

 

学生時代から、疑問だったことは、「自分たちのことは自分たちが一番分かっているはずなのに、なぜ戦略コンサルに戦略づくりを頼むのか」ということ。

自分が経営者だったら、絶対に嫌だ。失敗してもいいから自分たちで必死に考えて、やり遂げたい。

 

この疑問の答え1つは、「日々の仕事に追われすぎて、大局を見ることができない」ということ。少なくとも、マネジメントクラスになるまで、日々の仕事に追われすぎて、大局を考えるやり方を身に付けることができない。

最悪の場合、課長クラスでさえ、日々の仕事に追われている。

 

これは大きな問題。尊敬する人から、「着眼大局、着手小局」という荀子の言葉を教わった。今は、目の前のことをやろうでもすこしずつ明日のこと、一週間先のことをできるようにする。そしてもっと大局を見据えた仕事をできる”癖”をつけるようにする。

 

世間では長時間残業といった働き方改革が話題になっているけど、イノベーションは鬼のように働いてやっとできるかできないか。ジョブスが定時だから帰っていたわけがない。

目の前ことをものすごい勢いでやって、周りからの信頼を得て、あたられた仕事をまずは先回りする。そして、常に最新の情報を掴み、考えて、これからの時代に何が必要かを考える。

これが大切。

さぁ今は全力で生きよう。

 

ネットの海に”個人の力”をさらすためのブログ

 

私は、誰でも名前は知っているであろう企業に入社した新入社員です。

企業がやっていることではなく、自分自身が何を語れるのか、何を考えているのか、何をやってきたのかを話すべくこのブログを始めることを決めました。

 

おそらくいざアウトプットを出そうすると困難が伴うと思うし、何よりもめんどくさいと思う。でもそれはその程度しか語ることができない人材であるということ。

このブログを始めることによって、個人としてのメリットは非常に

大きいと感じています。

何より「アウトプットのためのインプット」という意識が身につくこと。

4月から読書量を増やし、ニュース記事も大量に読むようになったが、何のためのインプットかを明確ではなかったことは大いなる反省。

 

メリットのもう1つは、全く自分のことを知らない人が見ること。

 

あらゆる対面的な人間関係はある程度の先入観を前提としていると思う。

初対面でも、風貌、年、服装、性別、名刺の肩書きといった情報からある程度目の前の人がどんな人であるかを分かって話していると思う。

このブログはそれが一切ない。

ブログは、文章で語ることしか自分のことを伝えられない非常にいい機会だと捉えています。

まずは週に1回、500文字から初めていきます。

企業外の活動、ニュースについて考えたこと、本を読んで考えたこと、日々の生活から周りに知られて価値のあることを書いていくことになると思う。

初めはおそらく自己満足的なものになるかもしれない。

初めはそうでも、徐々に社会から求められることを提供できるブログになればいいなぁと。

 

ここまで読んでくださった人がいれば、本当に感謝です。

来週から書いていきます。