上司の悪口は言ってはいけないという戦い

個人事業主や社長でなければ、必ず上司という存在がいる。
サラリーマンの会話には、頻繁に上司の文句や悪口が登場する。上司に限らず、周囲の同僚の仲間の文句まで含めると、かなりの割合を占めるのではないだろうか。

なぜ、悪口が出てしまうのだろうか。
答えとしては、シンプルで、周囲の上司や同僚には必ず文句や不満が生まれるからだ。

一般的なサラリーマンであれば、テレワークが進んでいる今日であっても、一日8時間、週40時間は最低でも共に、上司と過ごすことになる。
それだけの時間を過ごせば、人の悪いところが見えるのは当然である。指揮命令や評価が関わってくればなおのことである。

長い時間一緒に過ごすと文句の1つや2つはでるのは家族も同じ。夫や妻、子どもへの文句も上司への悪口同様に多い。

しかし、どんなに大好きで、めっちゃ可愛い彼女でも、週に40時間、一緒にいれば、必ず悪いところは見えてしまう。その悪いところに触れて、不快な思いもする。

文句が生まれるのが当たり前だからこそ、周囲にその文句を言わないことが重要だと私は思う。

陰口を言われた方は、伝え聞いたり、相手の態度で陰口を言われることは分かるもの、そしたらお互い不快感をエスカレートさせてしまう。

だからこそ、周囲の悪口を言わないことは大切で、悪口が生まれるのは当たり前なのだから、言っても仕方ない。人の悪いところに触れるのは、集団行動をする上で、所与のことだ。
「冬は寒い」と愚痴を言いまくってるくらい、むなしい。意味がない。

文句をいっても意味がない、だから言いそうになる。それをグッと堪える。そんなゲームをクリアして、人生を豊かにしたい。

無駄な福利厚生は削減するべきだ

61日の「面接解禁」が控え、街中ではリクルートスーツを着ている大学生を良く見る。

 

その就活生の中では、企業選びに際して、福利厚生を重視している学生が多いようだ。

就活生の企業選び 「福利厚生」が「経営の安定」上回る:日本経済新聞

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28172880V10C18A3XXA000/

 

しかし、福利厚生の充実が、継続的な企業の発展につながるのか、疑問である。

 

例えば、通勤手当を考えたい。

通院手当は、当然、会社よりも遠く住む社員の方が、多く貰うことになる。

つまり、会社よりも遠くに住む社員を厚遇する制度であるといえる。

 

しかし、会社に貢献する人財は、会社に近くに住む方ではないのか。

会社近くに住めば、通勤時間が短くなり、心身がリフレッシュできるだけでなく、

働き方改革が進む昨今ではあるが、繁忙期などは終電まで仕事せざる追えない業種もある。

そういった業種でも、社員が近場に住んでいることは、会社にメリットがある。

 

実際、サイバーエージェントでは通勤手当ではなく、「近距離手当」を支給している。

 

もちろん、やみくもに福利厚生をなくすべきだと思っていない。

例えば、子供ができた場合の家族補助。

従業員が子供を持つことをは企業にとって直接的な企業収益にはつながっていないが、集団のダイバーシファイにつながる

という点で、定性的ではあるが、企業の発展に貢献しているといえる。

 

また、先進的な動きとして、1 時間からのスポット制コンサルティングサービス「ビザスク」は、家事代行の利用に会社補助を出している。

 

出産後も働き続ける女性が増えている一方で、育児のために時短勤務にならざるを得ない女性も多い。

優秀な女性が育児のために、時短勤務になるのは会社にとって損失であり、家事代行に会社補助を出すことは合理的であると

思う。

 

https://visasq.co.jp/archives/6779

 

社会主義的な、会社による福利厚生の拡大は、高度経済成長期の時代で可能であったことであり、

一つひとつの福利厚生について見直していくべき時代になっている。

 

 

リクルートプラットフォーム上で生活する日本。そして世界へ

私たちは知らない間にリクルートのサービスを利用していることが多い。

 

スタディアサプリ、リクナビタウンワークホットペッパーじゃらん、スーモ。これらは全てリクルートのサービスである。

 

従って、

大学入学「スタディサプリ」

就職  「リクナビ

転職  「タウンワーク

引越し 「スーモ」

結婚   「ゼクシィ」

などと、人生の転機とも言える状況において、必ず顔を出してくるのがリクルートであり、我々はリクルートのプラットホームに乗っかっているといっても過言ではなく、リクルートはユーザーに関する基本情報を一貫して掴んでいる。

実際、リクルートのアニュアルレポートをみると、企業文化を「価値創造のすべてを結びつけ、一貫させる基盤は企業文化だと私たちは考えます」と記載しており、戦略的に時系列に沿ったユーザー情報を掴もうとしていることが分かる。

 

さらに、ホットペッパーじゃらんを通じて、趣味趣向も把握しており、もしかするとユーザー以上に、そのユーザー自身の情報が分析しているかもしれない。

そして、流れは世界へ拡大傾向であり、HRテクノロジー会社(12年インディード、18年グラスドア)を相次いで買収をしている。

 

少し怖いと思いつつ、むしろもっと情報を集め、認知されていないニーズから、さらなる新サービスを期待もしている。

 

「フリー」ビジネスモデルの発展

 

変化の速い時代において、数年前のビジネス書が無価値になっていることは多い。

しかし、8年前(2009年)の本になるにもかかわらず、ワイアード誌の編集長であるクリスアンダーソン氏が執筆した『フリー』という本は今の時代に通じる内容であり、損には全くならない。

それどころか、現代の「フリー」というビジネスモデルを包括的に理解するためには、必読ともいえる。

 

フリーのビジネスモデルの中で注目されており、本でも述べられているのは、「広告」によるフリーや「少数課金」によるフリーだ。 ともに大きな規模を前提としてフリー」ビジネスモデルの発展、ほんの一部のユーザーが広告をクリックしたり、課金したりすることにより収益があがる仕組みだ。 これらの「フリー」モデルによって発展したサービスは、FacebookやNewsPicksや数々のゲームなど数えきれない。

 

そして、さらに興味深いのは新たな『フリー』モデルが誕生していることだ。 それは、「コンテンツ開放型」といえるフリーのモデルである。 これは、絵本も含む書籍に見られるモデルで、キングコングの西野さんや、Showroomの前田さんが「コンテンツ開放型」の先駆者といえると思う。

「コンテンツ開放型」とはコンテンツを売るにも関わらず、そのコンテンツを無料(フリー)にしてしまうビジネスモデルだ。 絵本であれば、絵そのものを、ビジネス書であれば、文章そのものを無料で開放するのだ。

「なぜ利益が出るのか分からない」という人も多いかもしれないが、コンテンツを無料で知ったにもかかわらず、そのコンテンツを有料で買う人が多い。

なぜなのか。

ふと考えてみると、我々は中身を知らない物を買わない。むしろ中身についてほとんど知っているものにお金を払う。

 

例えば、絵。

有名な絵を見に行くために、多くの人は美術館に行く。絵自体は見たことあるにも関わらず。

例えば、ライブ。

知っている曲を聴くために、ライブに行く。曲自体は知っているにも関わらず、我々は聞きに行く。いやむしろ、知らない曲はつまらない。

 

本や絵本も同様である。 ある程度、中身をしった上で私たちは購入しているはずだ。 だから無料公開しても買われるのだ。 半沢直樹シリーズだって、ストーリーの流れは知った上で、購入しているはずだ。 この「コンテンツ開放型」の発展は実に興味深い。 音楽業界では曲自体は限りなく安くなり、ライブで稼ぐようになっている。 飲食や教育でもコンテンツ開放型が導入されるのではないかと期待している。

他人の「What」の「How」を考える人材になってないか。

社会人になって、「想像とは違った!」という悩みを抱えたりすること人は多い。
それは、やりたいこと(What)を持って入社したのに、
入社後には、「上司のやりたいこと(What)をいかに(How)やるか」に取り組まなければいけないからだ。

藤原先生の言葉を変えれば、ひたすらに「情報処理」を求められいて、「情報編集」は全く求められていない。
知識や論理力の十分でないので仕方がない点はあるが、全ての労働時間を「他人のWhat」に向けて力を使うことはは非常に危険なことである。

なぜなら、やりたいこと(What)を考える力や「情報編集能力」は鍛えなければ、すぐに衰えてしまうからだ。
皆さんの周りにも、40代になって、「他人のWhat」を処理することしかできない哀しい人たちがいると思う。
今までは彼らを憐れむだけでよかったかもしれないが、今後10年でAIに代替されてしまう可能性が高い。なぜなら「How」を考える力や「情報処理能力」はAI(ただのシステムとっても)の得意分野だからだ。

だからこそ、
自分の「What」を持って実行する力
藤原先生でいう「情報編集力」
落合さんでいう「モチベーション」
前田さんでいう「人生の勝算」
が求められている。

経済合理性にあった施策を(パート②)


世の中には経済合理性にあっていない制度が多いという話の第2段として、「子供を持つことと、長生きすること」

「子供を持つと金がかかる、長生きすると国から長生きしない人よりも金がもらえる」というのが一般的な考えだ。
しかし、冷静に考えてみると、
「子供を持つことは経済的にプラスである」なぜなら、人口が増えることは経済発展につながるからだ。
一方、働かずに年金をもらい、医療費がかかる高齢者は、経済的にだけの極論でいえば悪だ。

このように整理すると
「子供を作るという社会的、経済的に良いことをしているのに、金銭的な負担が重くなっている一方で、長生きをして金食い虫(悪い表現ですいません)になっているのにも関わらず、行政サービスが手厚いという」
という矛盾が見えてくる。

このような矛盾を少しでも解決するために
後期高齢者医療制度」ができたと私は思っている。
簡単にいえば、少し長生きして人は医療費は多く払ってねという制度だ。
長生きは金食い虫なので、税金を多く払うといういい制度だと思う。
成立した当初は、「高齢者いじめ」だの言われたが、誰も変えようとしない。方向性が間違っていないからだ。

子供を産むということは社会的にプラスなことであり、歓迎するべきことだ。だからこそ、金銭面でせめて「トントン」くらいしないと子育ての苦労と割に合わない。
今までが「子供が好き」とか「子供は作るもの」といった宗教に近い、感情論に頼りすぎていたのだと思う。

経済合理性にあった施策を(パート①)

世の中には経済的合理性にあっていない制度が多い。

例えば、
「都市に住むか田舎に住むか」
もちろん移動の自由があるのでどこに住んでも構わない。
しかし、経済発展するためには都市化が必要だ。
ニッチなサービスは人口が集中しているからこそ生まれるし、都市化によって行政サービスも集中できる。

しかし現実はどうか。
都市で稼いだ金が地方に流れ、地方には生み出している富以上の金が流れている。
都市に住む人は、狭い部屋に住み、満員電車に押し込まれた上に、彼らが稼いだお金の一部が地方に流れている。
極めておかしな制度だと思う。

田舎に住むのは構わない、好きな人の気持ちもわかる。
しかし、「田舎に住むことは経済的に悪なので、税金をたくさん払う必要がある(もちろん直接的には言わない)」
といった制度にしなければ、人口が減少する日本に発展はない。