野党の限界

菅内閣が誕生して、お決まりとなった野党の内閣を何かに例えたり、表現する儀式があるが、今回は「安部亜流内閣」だった。

 

立民・枝野氏が「安倍亜流内閣」と命名産経新聞) - goo ニュース https://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/sankei-plt2009160047.html

 

聞くメディアもメディアだが、くだらない。安部内閣の継承を掲げたのだからある意味当然という、つっこみは一旦おいておくとして、批判ありきに問題なのだ。

「内閣を批判しないといけない」という思考がまず先に来るから、このような表現になる。そもそもこの内閣で何もやっていないのだから、是も非もないないはずなので、「ベテランが多く配置されましたね、何をやっていくかしっかり論戦します」くらいでいいはずなのだ。

批判ありきのポジショントークは限界がある、安倍政権はいくつもの選挙を勝ち、終盤の支持率も高かった。では、野党が国民と同じ目線で法案を支持しただろうか。半分の法案は賛成しただろうか。そうはなっていないだろう。

もしかすると、メディアが注目しているだけで、批判ばかりをやっているのではないというのかもしれないが、だったらメディア戦略を考えて欲しい。どのようにメディアに取り上げられるか分かっているだろう。

さらにいえば、野党の上層部には、「批判をかっこよく、鋭くできるプロ野党の政治家」が多い。野党が長ければ仕方ないのかもしれないが、与党になるのはもう無理だろう。

与党は何でもかんでも正当化する、野党は何でもかんでも批判する、そういった世界観の中で、我々は彼らに共感することなく、ポジショントークに騙されず、自分で考えて、正しいのか、間違っているのか、よく判断しなければいけないのだろう。

 

この議論はメディアも同じだ。メディアこそ是々非々であって欲しいものだ。