ガラパゴスでいい

数年前にガラパゴス批判ってあったけれども、今から思うとガラパゴスで何が悪いのか。
「世界と戦うために、世界と合わせるべき、プラットフォーマーになることが大切、ガラパゴスはダメ」という論調だったと思う。
確かに、そういった指摘が当てはまることもある。
ただその一方で、当てはまらないことも多い。

例えば、都市の発展。
都市は極端にガラパゴス化していい。
秋葉原が普通の街になったらつまらない。

アニメなどのいわゆる、「クールジャパン」的な文化に特化してほしい。

外国人観光客が、新宿に行く?
いかないと思う。新宿は「普通の都市」だから。
むしろガラパゴス化してない都市はだめ。ぱっとイメージがつくような都市を目指すべき。
渋谷といえばIT企業
六本木は外国人、ヒルズ族
清澄白河だったらおしゃれなカフェ。

一方で、新宿、池袋、品川は何を思い出せるだろうか?
出てこない人が多いと思う。それじゃダメ。独自に発展しないと。

文化の発展も同じ。
よく、バレンタインとかハロウィンがもともとの趣旨と違うなんていう批判あるけど、そんな批判はどうでもいい。
周りと同じことをするのではなく、独自に発展するから文化なのであって、全く世界と合わせる必要がない。ガラパゴス化大歓迎。

産業だってそう。
コンビニなんて、ものすごくガラパゴスだけれども、素晴らしい産業。
他の国には、持っていけない?
確かにそうかもしれない。
それでいい。だからこそ、日本で発展するし、外国人にも評判がいい。
そして、外国では外国に合わせる。それが例えば東南アジアで発展したコンビニのイートインスペースだったりする。
さらに面白いのは、そのイートインスペースが日本に来たこと。
そうやって、その都市ごとに独自の発展を遂げ、たまに輸出入される。それが面白い。

もしかしたら、日本のバレンタインが、逆輸出される時が来るかもしれない。
そしたらとっても面白いと思う。

代替できない人材などいらない

よく「取って代わられる人材になりたくない」とか、「自分だけの価値を発揮したい」という人がいるけれども、組織にとっては。「〇〇さんがいないと成り立たない」というような「誰かがいないと困る」という状態は致命的欠陥だと言わざるをえない。
管理体制やポジションではなく、属人性に頼っている組織は非常に問題を抱えている。
なぜなら優秀な人が去ってしまったら成り立たない組織は、組織ではないから。

むしろあるべき組織というのは、「優秀な人が作ってきた施策や流れを、誰にでもできる仕組みに落とし込むことができている」組織だと思う。

極端な話、派遣で入ってきたばかりの人でもできる施策に落とし込むことが重要。
判断基準までマニュアル化してルーティン化していく、そしてもはや人間がやる必要もなくし、システムに託すまでにするのが優秀な人の仕事。

多くの人は、「自分だけの価値」を追い求める。
でも、残念ながら達成できる可能性は低い。多くの仕事は、後人者でも同じようにやっている。社長でさえ、取って代わられている。
孫正義堀江貴文、前田裕二クラスを目指すならまだしも、大抵の人は、「自分しかできないこと」をやるのではなく、「誰にでもできるような仕事」にすることを目指したほうがいい。

虚構に対する帰属意識の薄まり

国や宗教、村への帰属意識が薄めていったのが歴史だった。 複業の広まりや週休3日になっていくと企業への帰属意識も薄まっていく思う。 なぜなら、人間は目に見えない虚構を生み出し、共有するという力に長けている一方で、その虚構に対する帰属意識が薄まっていくという歴史を繰り返してきたから。 宗教が絶対の価値観だった時代も、国が絶対だった時代もある。 しかし全て変化した。 宗教や国の共通点は虚構であるということ。 人間が想像で作り出したものであって、不変ではない。 虚構を生み出し、共有することを可能にした「認知革命」により、我々サピエンスは発展した。その我々の歴史を紐解くのが、『サピエンス全史』でした。 私たちは、「いつ起きるのか」は予想はできない。 けれど、社会の方向性は予想できる。 宗教、国、そして企業への帰属意識の薄まりは避けられない流れだと思う。 一時的に、企業内運動会等の企業内交流を通じて流れに歯向かう動きもみられることも予想されるけれども、大きなトレンドに変わりはない。 では残るコミュニティーは何かと考えると、どの時代も変わらなかった「家族」なのだと思う。 今後は、家と家といった重い結婚でなく、もう少し緩い家族の形が増えていくのではないかとも考えが及ぶ。 ここまで人間の全体感に踏み込んで考えさせる本はなかなかない。                                                                

割り勘すらキャッシュレス

めんどくさい現金決済が嫌いなのでキャッシュレス社会に少しでも貢献したい。
なので、コンビニの支払いも全て電子マネー
スイカのオートチャージのおかげで、キャッシュレスがかなり進んだ。

そんな私を悩ませていたのは、「割り勘」だ。
割り勘をする際はどうしても現金決済になる。

しかしその悩みを解決するアプリが登場した。
それは「ペイモ」。

飲み会の請求は「ペイモ」を経由することで、クレジットへ請求できる。

まだユーザーが多くないので、全ての割り勘をキャッシュレスにはできないが確実な一歩となった。

ちなみにいうと、宣伝では飲み会をメインにやってるが、なんでも割り勘にできる。
新幹線、ディズニーのチケット、ホテル代など。

加えて、ポイント好きにもおすすめ。
ペイモはユーザーを増やすために、友達紹介はもちろんや、クレジット払いをするだけでポイントが付く。
アプリに疑問がある人でも一回は使うべき。なぜならポイント大サービス中なので、一回の飲み会なら無料になるから。

https://paymo.life/

長期連休 反対論

ゴールデンウイークとかお盆休みって、長く休めるから賛成っていう人多いけど、デメリットが割と多い気がする。
デメリットとは、「働き方の自由」を奪っていること。
日本人は、休めないといわれているけれど、実は祝日やお盆休みとかで意外に休んでいる。
日本人は休めないのではなくて、自由に休めないというのが正しい。
仮に、1年間に15日ある全ての祝日がなくなって、その分、年休が付与されましたってなったらどうなるかな。
それでも年休って使われないかな。さすがに休むんじゃないのか。
人によっては、元旦も祝日扱いではないし、働く人もいれば、休む人もいると思う。
企業も無駄に、休日手当とか出さなくてもよくなる。

働く人にとって、自由に3連休作れたりとかしたら、すごくいいと思う。
皆は働いているから観光地も空いているし。

「今月は頑張って土曜日も出勤するけど、来月は、5連休とか勝手に作っちゃおう」とかできたらすごく自由だと思うんだけどな。

というかそもそも裁量労働を極めていくと、年休ってなくなっていく可能性もある。
例えば、「1週間分の仕事を3日で終わらせたら、4日分は休みです」みたいな。
リモートワークを極めていくと、何をもって働いているのかもよくわからなくなるかな。

にしても、当たり前と思って、デメリットが考えられていないことって多いんだよな。
ゴールデンウイークもボーナスも同じ。

観光産業には食が大切


先日、岡山に旅行に行って、感じたのは、観光産業の発展には食が大切であるということ。
岡山県は、非常に魅力のある県であった。後楽園、岡山城倉敷美観地区などは期待をはるかに上回った。
ただ、非常に残念なのは、「岡山で何を食べればいいかわからない」ということ。
岡山という言えば、何を食べればいいか思いつく人はいるだろうか。
しいて言えば、桃?
でも桃って、晩御飯とかに食べる食材ではない。

ビジネスの面からも、観光客から飲食代を取れないのは非常にもったいない。
例えば、広島といったら、お好み焼きやカキをイメージする人は多いと思う。
広島駅の駅ビルは、お好み焼き屋であふれている。
その中には、普段は絶対食べないと思われる女性もいる。
その女性が「なぜお好み焼きを食べるのか。
それは、「広島に行ったからには、お好み焼きを食べないと」という意識があるからだと思う。大阪の粉ものや、博多のラーメンも同じ。

はっきりいって定番の食事はなんでもいいと思う。
金沢の金箔ソフトクリームも完全に見栄え(インスタの広まりで写真写りは非常に重要)で話題になったと思うし、名古屋の台湾ラーメンコメダ珈琲も、名古屋である必要性はない。
都市だけじゃなくて、ディズニーランドも、独自の食を作ってるいる。
例えば餃子バーガー。
もはや誰も突っ込まないけど、夢の国と、餃子ってアンマッチすぎるでしょ。
でも、みんな買う。それは定番の食事だから。
東京も、「東京バナナ」って意味が分からない。でも売れる。
定番の食ってすごく大切。
(東京は、晩御飯になるような食が定番で出てくるといいんだけどね。)

岡山には、観光資源はあるわけだから、食と合わせるべきなんだよな、もったいない。
岡山にはキリンのビール工場があるから、ビールの街でもいい。
日本最大(せめて西日本最大)のビアガーデンやろうよ。ついでにソーセージも有名にしよう。
だって、みんなドイツといえば、ビールとソーセージを思い出すでしょ。
それと同じ。ドイツのビールとかソーセージが本当においしいのか、歴史があるのかなんて、極論どうでもいいんだよ。

新聞の高すぎる編集能力

NewsPicksをみてて、すごく感じるのは、ネット記事の編集力の必要のなさ。
NewsPicksのインタビュー記事って、よくいうと、「そのまま」、悪くいうと編集をしてない。

一方、新聞って文字数の制限が激しいので、見事なまでにぴったり文章がまとめられていて、編集のレベルが高い。

新聞はもしかすると、取材も大変だけど、編集に凄まじい労力を払っているのだろうかと考えるざるを得ない。
ただ、一方で、そこまでの編集能力が果たして必要なのだろうか。

ネットだったら、10文字増えようがさほどどうでもいい。いや100文字くらいでも特に長いとは感じない。一方、新聞になると話は変わってくる。10文字どころか、1文字に格闘している編集者だって多いと思う、
そう考えていくと、新聞って想定よりもかなり厳しいよなって思い始めてきた。
こんなに編集能力が求められている仕事って新聞くらいじゃないのか
本はそんなに編集能力いらない、字数制限は、あるけどそこまで厳しくない。むしろ字数を稼ぐために、だらだら書かれている本もたくさんある。
誰かが正しい情報を取材する必要はあるので、取材する人はなくならないかもしれない、むしろ、いらなくなるのは編集能力かもしれない。